世界で起こっていることは、じぶんに起こっていることである。

じぶんに起こっていることは、世界に起こっていることである。

 

自己相似的視点を持とう

「フラクタル」という言葉はご存知だろうか。

フラクタル(仏: fractale, 英: fractal)は、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念である。ラテン語の fractus から。図形の部分と全体が自己相似(再帰)になっているものなどをいう。なお、マンデルブロが導入する以前から以下で述べるような性質を持つ形状などはよく考えられてきたものであり、また、そういった図形の一つである高木曲線は幾何ではなく解析学上の興味によるものである。(wikipediaより抜粋)

 

むずかしく書かれていますが、ざっくりといえば「形の適宜な一部を取ってもそれが全体と似ている成り立ちをしていること」という解釈になるそうです。

 

ボクなりの理解(背景編)

正しいか正しくないかは置いておいて、ボクの持論というか、妄想的な考え方(=持論)を書き出してみたいと思います。

 

3年ほど前からボクは西洋占星術に興味を持つようになりました。興味のある部分を調べて遊んでいました。そんな中、1つの疑問が浮かんだのです。それは「なんで宇宙の惑星の配置が、ボクたちの生活に影響するのだろうか」ということです。

 

スピリチュアルな説明など、諸説あるようですが、ボクが気に入ったのは次のような解釈です。「大きさや規模は違えども、惑星や天体は、原子や電子といった物質を構成する仕組みと同じような性質を持っている」ということです。

 

「望遠鏡を覗いても、顕微鏡を覗いても、見ている本質は同じ」とも、解釈できるのかなぁと、ひらめきに似たような直感的な理解が、ボクの中では納得できたんですね。うまく説明できないんですが。そんなことを考えているときに、仏教にも興味を持って調べていたのですが、仏教でもそのような解釈があることを知りました。

仏教には、今では当たり前の「インターネット的思考」も含まれていて、哲学的な「叡智」の深さに驚きました。コンピューターもない時代に、よくそんなこと思いついて実践してきたなぁって。仏像や鳥居もヴァーチャルリアリティみたいな存在だなぁと妙に納得しましたからね。

 

さて。前書きがいつも長くなってしまいますが、本題に移りたいと思います。

 

 

ボクなりの理解(本題編)

現代人にはたくさんの課題や、悩みや、不安があります。これは個人レベルの問題で、まさにいま「あなた自身」が直面している問題のことです。上げればキリがありませんが、

  • 新型コロナウイルス感染症
  • 貧困
  • 格差
  • ダイエット
  • 恋愛
  • 環境問題
  • 人間関係
  • 躁鬱
  • 死生観

なんかがあると思います。もっと個人的な問題もあるでしょう。これは、あなただけの問題ではなくて、世界でも問題になっているんだと、ボクは考えるようになりました。そしてこれは、現代人だけの問題ではなくて、きっと昔から、こんなような問題を抱えてきたんだと思います。

それがほとんど解決、もしくは改善されていないということがとっても大きな問題です。なので、このままの社会を続けていたら、ますます苦しい状況になっていくのだと思います。

ではなぜ、現代ではこんなにも問題が山積みのように見えるのかというと、「いままでそれらをみてみぬふりをしてきた」からだと思います。もしくは、見えないところに押しやっていたり、臭いものには蓋をしてきた(悪い意味で)のでしょう。

いままではそれでよかった。目を瞑ればよかった。耳を塞げばよかった。鼻をつまめばよかった。しかし、現代社会には、もう、どこにも逃げ場がないのです。ですから、逃げも隠れもできない状況に追い込まれているということになります。

インターネットにその逃げ場を作ってみても、実際には、政治利用されたり、経済利用されたり、とろくでもない場所になりつつあります。

こういった行き詰まった社会をなんというかご存知でしょうか?

 

 

そう、ここは「地獄」なのです。

 

 

地獄にはなにがいますか?鬼です。鬼はメタファーです。ですから、鬼滅の刃がヒットしたのも、たくみに隠されて見えなくされてきたこの現代社会という地獄を、ボクたちは実は目にしていたのに、地獄という認識がなく暮らしてきたのです。

そこへ、鬼滅の刃という形で見せつけられたときに、ボクらは共感し、涙するわけです。漫画家の山田玲司さんが以前解説されておりましたが、「鬼滅の刃は、現代人に向けたカウンセリングであり、ある種のセラピーでもある」というようなことをおっしゃられておりました。

 

 

おっと、話題が逸れてきましたので戻します。

 

ボクが言いたいのは「この苦しみや悲しみから逃げられる場所は、もはやどこにもない」んじゃないかということです。盗んだバイクで走り出す場所もありません。行く先もわからないまま、というか、行き先がないのですから。

 

その究極的な現象が「異常気象問題」だと思います。これはもう、地球規模で起こっていますし、逃げる先がありません。どこにいっても、災害、厄災なのですから。そういう意味で、新型コロナウイルス感染症は象徴的な厄災なのではないでしょうか。世界中、どこにも逃げ場はありません。あるとすれば地球の外にある「月」くらいでしょうか。

 

そして、このグローバルな地球の環境問題は、地球規模の問題として捉えると同時に、ボクたちの生活にも影響するわけです。さらに言えば、地球に起こっている逃げ場のない環境問題が、ボクたちの体や心にも起こっていると考えても良いのではないでしょうか。これが「自己相似的視点」であり、フラクタルな概念だと、ボクは考えるようになりました。

 

その理由は、マルクスの新解釈にも説明がありましたが、ボクたちは「物質代謝」をして生きているからです。

 

ここでいう「物質代謝」というのは、ボクたち人間は、「自然」に働きかけて生活をしているからです。農業だって、工業だって、衣食住のすべてが「自然への働きかけ」であり、「地球」という共有資産からいただいて消費しているに過ぎないのです。

これまでは、それらを「外部化」して「見えないところ」に押しやることで、自分たちの「(悪い意味での)富」を築いてきました。しかしそれらは、地球や人間、動物、山、海からの「掠奪」や「搾取」によって得られていたのです。

しかしそれらが、インターネットによって「見える化」されるようになり、外部化されたり、見えないところに押しやられた人たちの”小さな声”が世界中から届くようになりました。

さらに「異常気象」という現実を突きつけられて、ようやく「認識」しはじめたのです。これらは「想像力の欠如」と反省すべき点なのかもしれませんが、巧みな隠蔽や虚構によって幻を見せられてきたので、無理もないと言えば、無理もないのかもしれません。

 

が、気づいてしまったからには、ボクたちはどうしたらいいのでしょうか。

 

 

さいごに

というわけで、今回は斉藤幸平さんの著書『人新生の「資本論」』を最近読んで、感じたことを文章化してみました。まだ最後まで読み切っていない(あと70ページくらい!)のですが、一度、じぶんの思考を整理しておこうと思って、書き出した次第です。

斉藤幸平さんは「経済思想史研究者」という立場の方ですが、ボクは経済思想なんてほとんど知らないで生きてきたので、本書は知らないことがたくさん書かれていて、勉強にもなった反面、きっと半分以上も内容をわかっていないのだろうなぁと思いながら読み進めています。

きっと、本書から読んでいたらまったく理解できなかったと思うのですが、読むきっかけを与えてくれたNHKの100分de名著「カールマルクス 資本論」のNHKテキストがとてもわかりやすく、新しい発見と気づきを与えてくれました。

 

こういった出会いがあると、より一層、ボクはどうやって生きていこうかなぁと考えさせられます。

久しぶりの長文、書き出せてよかった。

 

さいごまでお読みいただきありがとうございました。

 

 


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