久しぶりの更新となりました。
近況報告
仕事ではプラーナが10周年を迎えました。一区切りできたなぁと、しみじみと余韻に浸っております。サプライズでお祝いをいただいたり、温かいお言葉をかけていただき、ほんとうにありがとうございました。
プライベートでは、読書をしたり、映画を見たり、散歩をしたり、低温調理にはまったりと、以前よりも余裕を持ちながら、ゆたかな時間を過ごさせていただいております。
今回のエッセイ
インプットばかりしていると整理しきれずにもやもやした形のままになってしまうので、エッセイという形でアウトプットさせていただきます。
今回のタイトルは「 Useless 」です。
この「ジンバブログ」でもご紹介させていただいておりますが、斉藤幸平さんの「人新生の資本論」を読んでからというもの、世界観が大きく変わり、あたらしい視点と論点を持つことができました。成長し続けることの意味。その先にある世界。
そういえば、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」も観てきました。25年のエヴァに幕が降り、1つの時代が終わったんだなぁと。エヴァだけではありませんが、ボクたちには、どこかで区切りをつけて、進んでいくときがあるわけです。
- プラーナは10周年という区切り
- エヴァンゲリオンは25年という区切り
- ボク自身は40歳という区切り
Useless とは、「無駄」という意味で持ち出しましたが、ボクは「無駄がないと生きていけないな」って思うようになりました。むしろ、無駄があるからこそクリエイティブになれるし、ゆたかさも生まれるんだと思うようになりました。
学生時代、社会人、と「効率化」や「生産性」を叩き込まれて生きてきましたが、「人新生の資本論」で語られているように、そろそろ脱成長しなければならないなぁと、プラーナをしながら考えて。10年経って。そして辿り着いたのが「ゆたかさ」という「無駄の境地」でした。
そんな時代を象徴するワードが「不要不急」という言葉なのではないでしょうか。
無駄という言葉にも、いい使い方と、わるい使い方があると思います。効率化至上主義の世界では、無駄なんてもってのほか。サボってないで働け、となるのでしょうけれど。しかし、無駄がないからこそ、ギスギスしたり、追い詰められたり、身動きが取れなくなってしまうということがあると思います。いや、今の時代はむしろ、この閉塞感のほうが強いような気がします。
日本語で言うところの無駄を英語にすると Useless です。この Useless をまた日本語に直せば、「使えない」となります。
ボクの感覚として、効率化を追求した結果、使えないことが大切なんだな、という境地に至ったわけです。そんなこと思ってもいませんでしたので、なんとも不思議というか、皮肉というか、おかしい話になりました。
しかしながら、この「無駄の境地」というのも、努力や生産性を超えて、ある一定のプロセスや経験を踏まえた上で話が成り立つと思います。そういうわけで、表面的な話だけでは伝わらないし、深くて聡明な、一定の変化を受けて成長した人へ向けたエッセイとなってしまいました。
こういう面でも、読み手の格差、知的な格差、などが広がっているんだなぁ。ボクも置いていかれないように、日々自分を磨いたりして、無駄にゆたかな時間をたのしんでいきたいと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました。